現地で迎える3.11が近づいて、超個人的な意見(南三陸7日目)

更新: 2023-05-25  投稿:
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【事実】

 3.11が近づいて、TVなどでは「5年目慰霊祭」などの特集が組まれている。僕が今南三陸でお世話になっているお宅では、そのような特集のCMで津波の映像を見せられて、「心が痛むから見たくない」と言っていた。

【思うこと】

 3.11が近づいて、TVなどでは「5年目慰霊祭」などの特集が組まれている。僕が今南三陸でお世話になっているお宅では、そのような特集のCMで津波の映像を見せられて、「心が痛むから見たくない」と言っていた。

 まず、3.11は一過性のイベントではない。「3.11が近づいたから思い出そう」なんてさ。クリスマスじゃないんだから。それにどうせ3月12日になったら、今まで盛り上がってたのがウソのように、しんと静まり返るのも目に見えてる。そもそも、思い出そうって頑張ること自体が、忘れそうになってる証拠じゃん。
 これは本当に個人的な意見だけど、東日本大震災というのはイベントとかお祭りごとみたいな表面的なことじゃなくて、もっと根本的な変化だったと思う。思い出そうとするまでもなく、考え方そのものの方向性が変わるきっかけになった。それ以降、世界が違って見えるようになるきっかけになった。僕はあんまり「日本人は…」みたいなことを書くのは好きじゃないけど、どのような形であれ日本人は全員東日本大震災を経験していると思わずにはいられない。そして、みんなに「根本的な変化」が起こり、それを機に世界の見え方が大きくガラリと変わったのなら、別に3.11のことは思い出さなくてもいいとすら思う。
(完全に余談だけど、どこかで村上春樹が「民族の集団的記憶」のような言葉を使っていて、そのときはよく意味が分からなかったけど、これを書いていたら分かった気がする。3.11を例に挙げれば、この東日本大震災によって、日本の文化は変容することを余儀なくされたわけです。だから3.11以降に生まれた子供たちは東日本大震災を直接知っているわけではないけど、変容後の文化の中で暮らしているということは、間接的に東日本大震災の影響を受けているっていうことですね、きっと)
 また、少なくとも南三陸にとっては、この時期と言うのはワカメで忙しいわけです。「復興祭」なんてものに邪魔されたくない。そんなことやらなくたって、普段からズシリと重いものを心のどこかに抱えています。それを部外者なんかに踏みにじられたくない。むしろ3月11日は、仕事が休みになります。大事な日は落ち着いて過ごしたいということの表れだと思います。

 じゃあ僕は何をするのか。話は急に個人的になります。
 僕の場合の「根本的な変化」とは、南三陸にとってプラスになる変化でした。詳しくはココに書いたけど、簡単に言うと南三陸が好きになったわけです。人によっては放射線を避けるために西へ行くという、被災地にとってマイナスな変化の人もいるけど、僕の場合はプラスなもの。
 だからそれを直接伝えます。ココで。南三陸で。
 現地の人と話をするときには「以前はボランティアでここに何回か来たんですけど、本当にいいところで、好きになっちゃいました。だから今1ヶ月住んでるんです」と言う。「1ヶ月住む」というある程度重みのあることを、できるだけ軽やかに言う。そうやって、「3.11は一過性のものじゃなかったですよ。僕の中で何かが大きく変わったんですよ」ということを、ちゃんと伝える。「南三陸が好きになった人が、ここに1人いる」という小さな事実を、聞いている人の中に積み上げる。
 そこまで話ができない場合は、笑顔で挨拶する。顔を見れば(またはアクセントを聞けば)、ここ出身の人じゃないとすぐに分かりますから。そんな人がここで楽しく暮らしてるということを、身を持って伝える。

 そういうことが、僕のできることなんじゃないかなーと思います。

 こんなの別に言語化するまでもなく、なんとなくは思っていたし実行していたことだけど、ちゃんと言語化するとこんな感じなのかなって思いました。【事実】に書いたことがとっても印象的だったし、今日はボランティアで来た人のお世話(送迎とか)をしたので、色々考えちゃいました。

【2016年6月11日 追記】

 糸井重里さんがインタビューで、似たようなテーマについて話をしていたのでリンクします。

糸井重里さんと3月11日「紋切り型の言葉」を乗り越える あの日から5年3カ月

 糸井さんも気仙沼に定期的に行っているので、やっぱり現地に行くと同じことを感じるんだな、と安心したと同時に、僕の考えよりも数歩も先んじている(当たり前ですが)ことに畏敬の念を覚えました。

「例えば、福島の桃は一番なんですって福島の人は言いますよね。だから食べてほしいって。でも、本当に一番なの? 山梨はどう、岡山はどう? って問い直さないといけない。(中略)もう5年経っているからこそ、友達としてきちんと本当に感じたことを言わないといけないと思っています」

- 糸井重里さんが考える震災と言葉 「きれいにまとめない言葉」からみえてくること (LINK)

 この言葉がとても印象的でした。「現地の人」と「外から来た人」が調和するにはどうしたらいいかというのはすごく難しい問題で(詳しくはここに書きましたのでよかったら)、南三陸に住んでいた時は常にそれを考えながら行動していたのですが、この言葉にはそのヒントが隠されているように思います。

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