好きだった音楽は、聞き返さない
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と感じることがあります。
しかしどうやら、そうではない人も結構いるらしい。
今から書くのは、そうではある人間としてのお話。
前提 「好きだった音楽」とは
最初に「好きだった音楽」の定義を決めておきましょう(この記事内での定義です)。
「好きだった音楽」は 昔は好きだったけど、今は聞いていない音楽 という意味で使います。
過去形の「だった」がポイントです。今はそうではない、というニュアンスです。
なので、昔好きになり、今でも好きで聞き続けているものは含めません。
結論 → 当時の文脈を今の自分に持ち込む不一致感
一言で言うと 今の自分は昔の自分と違う という点です。
昔好きだった音楽を、今になって聞き返くと「もう今はこのモードじゃないんだよな」と思います。
人によって、音楽をどのように聞くか、どのくらいの頻度で聞くかは違うのですが、、、
僕の場合、好きな音楽はある時期に集中して聞くことが多いです。マイブームと言えるかもしれません。
そうすると、中学3年の時期に音楽Aを聞いていたとすると、「音楽A」と「中学3年の自分」が強く強く結びつきます。
音楽Aを聞くとき、中学3年の自分というバックグラウンドが否応なく匂い漂うのです。そうすると、かつての自分を見ているようで、少し恥ずかしくなってきます。
恥ずかしいだけならまだいいのですが、 なんだかパソコンのリカバリーメディアみたいに、当時の自分の感性が今の自分にインストールされて、入り込んでくるような気さえしてきます。
一応、僕自身は少しずつ成長し続けているつもりなので(実際は分かりませんが)、今よりもっと出来損ないだった頃には戻りたくありません。
もちろん音楽Aを単体で聞けば、今の時代でも Good Music であるし、勝手に中学3年という背景を設置したのは僕の責任です。
しかし、音楽Aを個人的な文脈から切り離して単体で聞くことが、もうできないのです。
テレビでは起こらない理由
不思議なことに、テレビ番組では同じことはあまり起こりません。
先ほど書いた「その時代の自分と結びつく」という意味では、テレビ番組の方がそうなりそうなのに。
これは単純に、昔のテレビ番組を見返す機会がないからだと思います。
一応当時のデータが残っていることもあるので不可能ではありませんが、あまり見直すことはありません。あったとしても、音楽ほど頻繁ではないでしょう。
メディアとしての特性の違いが反映されているのかなと思います。
おわりに
同じような理由で、昔の自分の写真なんかも、あんまり見るのは得意じゃないかな。