僕が島本理生さんの小説に惹きつけられるワケ

 栃木県茂木町での農作業レポを書こうかなと思っていたら、島本理生さんの小説を読み終わって感動してしまったので、勢いに任せて書きます。

 島本理生さんの小説を読むと、なんだか百人一首を読んだときに似たような感覚を感じます。
 例えば

秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ

=秋の田の傍にある仮小屋の屋根を葺いた苫の目が粗いので、私の衣の袖は露に濡れてゆくばかりだ。
(現代語訳の出典ここ

という有名な天智天皇の歌があります。しみじみしますねぇ。
 しかし、現代語訳を見ればわかるように、「○○が素晴らしい」というような主観的な表現は一切なく、淡々と客観的事実の描写がしてあるだけです。
 なぜかは分かりませんが、丁寧な描写というのは人に感動を与えるようです。

 一方、島本理生さんの小説が丁寧に描写しているのは、「人の心の動き」です。
 彼女の小説の主人公は、例外なく何らかのコンプレックスを抱えています。というか、コンプレックスを持っていない人なんて一人もいないと思うのですが、主人公はそういった部分と真正面から向き合い、力強く前に進みます。
 カウンセリングの世界では、5・6回目くらいでクライアントは用意してきたことを全て話し終わって、自分でも思ってもみなかったことを話し始める時があり、そこからが本当のカウンセリングのスタートだと言われているようですが(出典ココ、それと同じような心の動きがとても緻密に、かつ的確に描かれています。
 だから、彼女の小説には、ラストでの大どんでん返しもなければ、目を見張るような密室トリックもありません。その代わり、ちょっとした出来事をきっかけに気持ちがかすかに揺れ、何気ないことから自分の中の潜んでいた無意識に気付き、その瞬間に人間関係が進展するという、静かなドラマがあります。そのドラマは、主人公が自分の気持ちに正直になった結果の産物であり、彼らは進むべき方向に進んでいるのです。
 上空から加速して落ちる雨粒が、やがては一定の速さになるように、物語は収まるべきところに収まっていきます。
 登場人物の人間関係の進展だけを取り出して、客観的に見たらバッドエンドのように見えることもありますが、物語全体を通してみれば、流れを堰き止めていたものが外れたときのような清々しさがあります。

 彼女の小説は、ジャンル分けをすると一応「恋愛」になりますが、描かれているのはもっと普遍的なものだと思います。事実、「七月の通り雨」という短編は女性と女性の物語ですが、レズ系の話ではありません。本当は性別は関係ないのだ。お互いに認め合って必要としているなら。そういうこの世でたった一人の相手になれるなら。というセリフが全てを表しているようにも思います。

 また、ストーリーの素晴らしさ以外にも、純粋に文章がとても美しく、読後感が登場人物の気持ちと一致するように計算されて書かれているように思うのですが、これに関しては「とにかく読んでみて!」としか言いようがありません。

 時間をかけてじんわりと体に染み込んでいく感じ。それが島本理生さんの作品の魅力だと僕は思います。

この記事は旧ブログ「ワーホリ中」からの転載です。

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