「う○こはなぜ臭いのか」という問いが、僕の人生を変えた

 僕の人生を決定づけたヤフー知恵袋の投稿があります。もしかしたら本か他のサイトだったのかもしれませんが、恐らくヤフー知恵袋だったと思います。僕は小学生か中学生のときにそれを読んで衝撃を受け、その後の考え方に多大な影響を受けました。それはまるで徳川家康が利根川の流れを大きく変えたように、それによって江戸幕府の江戸での繁栄が運命づけられ、さらにそれまで洪水地帯だった土地が水田になって人々の生活が劇的に変わったように、僕の流れべき方向をある種決定づけた出来事です。

 そこに投稿されていた質問とは

う○こはなぜ臭いのか

 ああ、これほどまでに深遠で哲学的な問いがあったでしょうか。「自我とは何か」「幸せとは何か」と並べて、人類にとっての3大命題として掲げておきたいくらいです。

 さて、ここまではちょっと茶化して書いてきましたが、この問いに対する答えは本当に素晴らしかったです(ソースが分からないので、記憶からの再現です)。

別にう○こが臭いわけではない。
人間の鼻が、う○こを臭く感じるようにできているのだ。

 さらに答えはこのように続きます。

う○こにはバイ菌がたくさん入っていたりと、人体にとって害のあるものである。そういったものを臭いと感じれば、本能的に距離を取るため、自然と害を避けることができる。つまり臭いと感じるのは、「近づくな」という体からのメッセージなのである。

 非常に納得のいく答えです。僕なりに言い換えると、私たちは人間である前に、一匹の動物なのだということです。だから頭で考える前に動物としての本能に従っていれば、自然と得に近づき、害からは離れることができる。動物の本能というのは生命の誕生から38億年かけて磨き上げられてきたもので、それなりの「実績」があるのです。これは別に嗅覚に限った話ではなく、食べ物が変な味がしたら、それは痛んだり腐ったりしてる証拠だから口から出すべきだし(というか反射的に出したくなるはずだからそうすればいいだけ)、気分がよくない人間関係は無理して続けることはないし、一緒にいて楽しい人と別れ際に「また会いたい」と自然と思うのだったら、また会うべきなのです。理屈がシンプルすぎてむしろ心配になりますが、でも基本的にはそういうことです。
 「じゃあタバコや麻薬はどうなんだ」といった反論は十分に考えられますし、僕は正直それを論破できる自信はありません。でもやっぱりこういう考え方が基本だというのは変わらないし、やっぱりそこはおろそかにしたらいけない部分だと思います。脳みそがやたら進化して、しかもテクノロジーまで進化して、本能に従わなくてもなんとなってしまうからこそ、なおさらそう思います。

 回答中の「う○こが臭いわけではない」というのは本当にその通りで、くさいかどうかというのはあくまで主観的な話。小難しい言い方をすれば、唯物論と観念論でいうところの観念論です。人間がにおいをかがなければ、そこにはただう○この臭いが存在するだけで、そこにくさいかくさくないかといった判断は存在しません(←唯物論の考え方)。それを人間が勝手にくさいって言い張っているのだから(←人間が観念論に支配されている証拠)、この質問に答えるにあたって、焦点を当てるべきはう○こではなく人間だ、というのは非常に理にかなった考え方です。もちろん当時の僕はそんな難しい言葉は知りませんでしたが、のちのち唯物論と観念論の概念を理解するときに非常に役に立ちました。

 これをもとに色々考えを膨らませてみると面白いです。少し話が飛びますが、例えば犬の嗅覚は人間の100万倍と言われていますが、じゃあう○こに対する不快感も人間の100万倍かと言ったら、そういう訳ではなさそうです。きっと匂いを脳内で処理するプロセスが人間とは違うのでしょうね。恐らく人間と同じにおいをかいでいるのでしょうが、人間と違ってう○この臭いを不快なものとして認識しないのでしょう。
 犬の散歩に行くと分かりますが、犬は他の犬と出会うと相手がだれか確認するためにおしりの臭いをかいでいます。だから、犬にとってはう○このにおいは「相手の身分を確認するために近づくべきもの」なのでしょう。人間にとっては「害のある離れるべきもの」であるのと大違いです。まぁ、生物学的な根拠は全くなしでテキトーに書いているので違うかもしれませんし(すいません)、もし犬が言葉を話せたら「いや、臭くて臭くてたまらないんだけど、もう慣れたわ」って言われるかもしれません。だけど、臭いをどう感じるかという観点から、人間と犬の体の構造の違いや社会構造の違いが垣間見えるのは面白いです。

 今年1発目の記事でした。なんだか2016年はいい記事が書けそうな予感がします。

この記事は旧ブログ「ワーホリ中」からの転載です。

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