南三陸に住むことの是非を真面目に考えてみる(南三陸15日目)

 今までずっと「南三陸はいいところだよー」ということを書いてきましたが、今日はちょっとネガティブな面について書いてみます。

 ここにいると「良くも悪くも非常に狭いコミュニティだ」ということを強く感じます。
 僕のいる歌津地区は地元の人どうしの関係がとても密だから、一人と打ち解ければそこから芋づる式にどんどん内側へと入っていくことができる、という良い面はあります。でも、悪く言えば閉塞感がある。大袈裟じゃなくて、本当に「全員が」知り合いです。いつも同じメンバーなので話す話題もなくなるでしょうし、ちょっとした噂もすぐに広まります。「どこどこの誰々さんが~」みたいな話も多い。住宅地の町内会でも似たような傾向はありますが、もっと程度は強いと思います。正直「ずっとここで暮らすことになったら息苦しいんだろうな」っていうのは感じます。
 人間関係のこと以外でも、やっぱり田舎だからちょっと遠くまで行こうと思うと片道1時間くらいはかかります。休みの日ならともかく、普段はそんなに時間をかけられないから、どうしても行動範囲が限られてしまいます。今はまだ着たばかりだから探検してて新鮮だけど、数か月もいたら飽きる気がする。

 まとめると、「ここに移住して、ずっと暮らそう!ここに骨をうずめよう!」とは思えない、というのが正直な意見です。まだ2週間しかいてないから何とも言えないけど、今のところはそう思う。

 ただし、これは南三陸に限らず、どこに住んでいても同じなのだろうという気もします。繰り返しますが、住宅地の町内会でも似たような傾向はあると思う。結局どこにいたって多かれ少なかれ同じようなことは感じるし、それを僕がたまたま南三陸で気付いたというだけの話だと思う。

 じゃあどういう生活が理想なのか? という核心の部分の話になるのですが、それは正直よく分かりません。今すぐに結論を出せるような話ではないと思う。ただ、最近よく言う「地方移住」には、実際に経験するまで分からなかったような「どうしても好きになれない部分」があるということは分かりました。
 1つ選択肢を挙げるとすれば、南三陸のような「ホーム」を他にもいくつか作って、それらを定期的にグルグルするような生活です。これなら好きになれない部分を減らすことができるから、可能性があるかも。「ホームを何個もつくることってできるの?」というと、できる自信はあります。オーストラリアも知り合いゼロの状態で行ったけど、結構楽しく生活できたし、たった1年で現地の人と結構仲良くできたんだもの。もはやあそこは僕にとって居場所の一つです。同じ要領でやれば「ホーム」をいくつも作ることなんて(数年はかかるだろうけど)可能でしょう。
 これはもちろん選択肢の一つですが、こんな感じであと何十個か何百個か考えていくことは出来ると思う。

 ちなみに余談ですが、最近よく言う「地方移住」という言葉についたイメージが気になります。「反・都会生活」とか「自然派」といったイメージがつきまとっているように思えるのですが、実際に移住してる人ってそんなこと考えてないでしょ。それが自分にとって自然な選択肢であるように思えるからそうしてるってだけで、いちいち意味づけなんてしてないと思う。あと、こっちにきてる人は別に「永住」にこだわっているわけじゃなくて、「期限なし」ってだけのことだと思う。「いつまでもいられるから今はいる」って状態。「永住」って聞こえはいいけど、なんか頭は固い感じがします。なんかそこらへんは、テレビの特集とかだけを見てると誤解するだろうなって思った。

 あと、改めて思い返したのは、オーストラリアで経験したWWOOFです。「森の中で自然に溶け込む暮らしをしているけど、都市部(アデレード)まで1時間で行けて、ネットを使ってお金も入ってきている」という生活。あそこで見たものは、脳裏をかすめます。自然と都会の融合。やっぱあれはすごかったなーって何回も思い返す。

 思いついたことを思いついた順に書いていたら、まとまりのない文章になってしまいました。

この記事は旧ブログ「ワーホリ中」からの転載です。

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