南三陸での原体験① スポーティーお坊さんとの出会い

更新: 2023-07-15  投稿:
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はじめに

南三陸というのは、僕にとって特別な場所です。

大学キャンパスの中だけで過ごしていた僕が、インドへ行き、オーストラリアで1年間旅をし、何にでも好奇心を持つようになった。そのきっかけは、南三陸での経験にあります。

この場所でどんな人と出会い、何を食べ、どんな話をしたか。

主観100%で「南三陸が好き」な理由を綴りたいと思います。

原体験① スポーティーお坊さんとの出会い

2013年3月23日。初めて南三陸へ行った日。
その日の仕事は、使わなくなったテントの撤去でした。

撤去するテント
この左に映ってる白いテント

一緒の班になった人の中に1人、気になる風貌の人がいました。

頭はスキンヘッドで、スポーティーな黒のつなぎ。ガタイがよく、後ろから見たらちょっと怖かったけど、横から見たら優しい顔をしていました。

「この人、誰なんだろう」と思って話しかけてみると・・・

「僕、お坊さんやってるんですよ。」

え~! お、お坊さん!? つなぎ着てるのに!?(笑)

お坊さんと話すことなんて普段はないから、みんなで質問の集中攻撃をしました。
「食事制限ってあるんですか?」と聞くと「これが、修行中以外は特にないんですよ」
「じゃあ、ポテチみたいなお菓子も食べるんですかね?」
「修行中は動物性のものはだめだから、お菓子を食べるときは成分を見ますよ。ポテチはダメですね」
と、僕たちのくだらない質問にも丁寧に答えてくれました。

テント撤去の作業をしてた時に、となりにいたおじさん。年は30代半ばくらい。
「俺、昔ニュージーランドに1年間住んでたんだけどね」

突然話しかけられた!

「家をつくる仕事をしてたわけ。全然経験なかったんだけど。そこで釘を"ウイーン"って刺す機械があるでしょ。あれを使ってたら落としちゃってさ。足の親指のすぐ横に落ちたんだよ! 危なかったよーあれは。あと少しずれてたら、今この親指ないんだもん。こうやってテントの解体をしてたら、あの時のこと思い出したよ」

は、はぁ…。経験なくても家建てられるんだ…。
あ、ニュージーランドってオーストラリアの隣じゃん。
「僕、メルボルンで1ヶ月だけホームステイしてて、それじゃ足りなかったんで今度1年以降と思うんです」

「俺も昔ワーホリしたよ。ニュージーランドに行ったのはその後なんだけどね。結局仕事でもメルボルンに6年住んでて…」

よく分からないけど、このおじさん、スゲー!! (゚д゚屮)屮

話を聞くと、
 オーストラリアでワーホリ1年
 ニュージーランドでもワーホリ1年
 仕事でメルボルンに6年在住(曰く、6年住むならシドニーの方がよかった笑)
 その後はECCの先生をやっている
というものすごい経歴の持ち主。

そんなトンデモナイ方と今話している、ただの大学生の僕。

「たけし君は、今何してるの?」
「あ、僕は大学で機械の勉強しています」
「そうなんだ。実は僕も大学生なんだよ」
「え?どういうことですか?」
「俺、高校の教師になりたくてね。自分の今までの経験を若い人たちに伝えたくてさ。だから今慶應の通信をやってるんだよ」
「へぇ、でも、○○さんくらいの年代の大学生って、そんなにいないですよね?」
「いや、そんなことないよ。通信でも月1回は大学に行くんだけど、俺より年上の人もたくさんいるよ。そういう人たちと話してるのも面白くてね」
「ちなみに、今東北のボランティアに来てるのも、それと関係があるんですか?」
「うん。教師になるからには”自分の体験”を話せるようになりたくて。3.11は日本を大きく変えた震災だから。そのことについて、自分が経験したことを元にして、自分の言葉で話せるようにならないと、教師として恥ずかしいじゃん」

この言葉を聞いて感動しました。こういう人こそ教師になってほしい!!

テントの解体は、現地のとある家族(父と息子2人)の指揮の元で行われたのですが、仕事がひと段落した、休憩時間の話。
その家族のお父さんが震災当日の話をしてくれました。

お父さん曰わく、津波が来た時にお母さんは家にいて、津波で流されてしまったとのこと。

みんなが真面目に静かに聞いている中、お父さんが冗談で言いました。
「だから今うちは男しかいねぇから、(ボランティアの若い女の人に向かって)あんた、嫁にきてくれねぇか?」
その時は僕も笑っていましたが、2年前に奥さんを津波で亡くして辛いはずなのに、こんな冗談を言えるなんて。このお父さんがどんな心境でこの言葉を口にしたのか。未だに僕には想像がつきません。

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2015-12-07
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