【要注意】信用できない人はよくこう言う2選

更新: 2024-02-02  投稿:
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Warning!
※個人の感想です。

正しそうに聞こえる言葉には、様々な危険性が含まれています。

この記事では、この言葉を多用する人は僕は信用しない というワードを2つ紹介します。

① 本質的な〇〇・本物の〇〇・本当の〇〇
② 正解はない

以下の意見は基本的に、建設的な話し合いの場を想定しています。飲み会などでのおしゃべりでは、この限りではありません。

本質的な〇〇・本物の〇〇・本当の〇〇

「本質的な〇〇」や「本物の〇〇」という言葉を多用する人がいたら、自分は真っ先に警戒します。

状況としては、何か問題が発生して、その対処法にプランAとプランBのどちらにするか、メンバーで話し合うような場面。そのときに「プランAは本質的な対応になっていない」などと意見を言う人です。結構たくさんいます。

僕がこの言葉を好きではないのは、「本質的な」が付いたからといって、プランAが良くないことの理由に全くなっていないからです。

説明がうまくない人が、説得力あるっぽいことを言うために使う詭弁だと思っています。

プランAがよくないのであれば、どうよくないのか、それをするとどういうことが起こりうるのかといった理由を説明すべきです。

往々にして起こるのは、この言葉を使う人が高い立場にあること。
「本質的な」と言われたら、そもそも理由になっていないので、その言葉の否定ののしようがありません。
結果として、立場が上の人の意見が通るだけになり、議論が一方通行になります。これはもはや議論ではありません。

「本質的な〇〇」という言葉を使用できる場面

しかし、「本質的な〇〇」や「本物の〇〇」という言葉が常にダメなわけではありません。

客観的な証拠を持って議論する必要のない場面では、積極的に使用すべきだと思っています。

やや極端な例かもしれませんが、「本当の幸せって何だろう」や「自分が本当にやりたいことって何だろう」という問い。これは自分の心に問いかけるものなので、主観でしか話ができません。こういうときにはむしろ、言葉を使いすぎると理論に偏ってしまい、心が曇ります。「説得力があるからその意見は分かるんだけど、なんか違う」という状態になりやすいと思います。

富士山(静岡・清水にて)
静岡県・清水から見た富士山 (本文とは関係ありません)

正解はない

2つ目は「正解はない」というセリフ。

まったく反論の余地のない言葉です。
しかし、その完璧さが、絶対的な正しさを生み出す危険となるのです。

この言葉がよく使われるのは、多くは教育上の関係性、例えば先生と生徒、上司と部下といった関係性だと思います。生徒の言う意見に対して、先生が「正解はないですよ」と言う状況です。

このときの先生の意図は、恐らくこうでしょう。「様々な角度から考えるのが大事。現時点での出来栄えに満足することなく、さらに上を目指してほしい」。この方針には賛同します。

「正解はない」という言葉を使う危険性

しかし「正解はない」という言葉を使うことには、大きく分けて2つの危険性があると思います。

1つ目の危険性とは、生徒側が現在位置を分からなくなることです。

生徒の中には、基礎作りの段階の人もいれば、応用・発展レベルに取り組む人もいます。ただし、みんな完ぺきではないので、さらに上を目指すべきという点で同じなのは事実です。

それらを「正解はない」の言葉でひとくくりにされてしまうと、生徒は今自分がどのレベルまで到達したのか分からなくなってしまいます。基礎レベルの人と発展レベルの人は、取り組むべきことは異なるはずなのに、同じように聞こえてしまうのです。

2つ目の危険性は、生徒が思考停止すること。

「正解はない」が口癖になると、何が起こるか。

生徒は自分で考えたこと(しかしまだまだ未熟な考え)を「でも正解はないから、これはこれでアリだ」と思ってしまいます。つまり、思考停止です。自分の考えを正当化するための材料としてしまいます。

皮肉なことに「さらに上を目指してほしい」という先生の意図とは、反対のことが起こってしまうのです。

「正解はない」が危険性を生む原理

なぜこのようなことが起こってしまうのでしょうか。

「正解か不正解か」という 二択の時点でおかしい というのが、僕の意見です。「正解はない」というセリフを使う人は、「学校のテストには正解があるけど、人生はそうではない」というアンチテーゼのつもりなのでしょう。しかし、正解か不正解という二択に縛られている時点で、同じ土俵に乗ってしまっています。

代替案

では、代わりに何といえばいいか。

これは簡単で、100点満点中何点か、という考えをすればいいと思います。

40点取れている人に対しては「(40点分について)ここはよくできてるね。(足りない60点分について)もっとこうなるといいね」という考え方です。点数は言っても言わなくてもいいです。

他人に対してだけでなく、自分の現在の実力も点数化して、同様に考えます。

そして、 合格点を60点に設定し、このラインまで来たら一旦OKとします。 合格点まで来たら、どんどん次のことを考えます。60点取ったのが自分の専門領域なら、さらに70点、80点と伸ばしていく。そうではないなら、1つのことを深めすぎるよりも別のことで60点をとるように切り替える。状況次第です。

一番よくないのは、90点くらいできているのに「正解はない」という言葉に惑わされて、足りない10点分のために時間を使いすぎることです。

「正解はない」という言葉がぴったりの場面

「正解はない」というセリフが許される場面は、次のような時だと思います。

先生が生徒に問題を出し、発言した生徒の答えがあまりにも的外れだった。100点満点なら、10点。しかし他の生徒もいるので、頭ごなしに否定してしまうと、その発言した生徒のメンツがつぶれてかわいそう。なので「まあ、正解はないですからね。そういう答えもあるでしょう」と優しくかばう。

僕が上の人に「正解はないからね」と言われたときは、「僕のやったことがあまりにひどくて、そうやって言うしかなかったんだな」と思うようにしています。

おわりに

昔「名言と愚行に関するウィキ」というサイトを とつげき東北 という方の運営されていました。内容は、世にはびこる詭弁に対して、徹底的にどこがおかしいか議論するもの。僕が今ここに書いたことの100倍くらい濃い内容が延々と綴られている、とても面白いサイトでした。今は閉鎖されており、見れなくなっています。アーカイブサイトでみられるかもしれないので、気になった方は探してみてください。

同氏の本も面白かったですので、ぜひ。

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