【巧遅】媒体としての「個人ブログ」の価値とは

更新: 2024-04-17  投稿:
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東山動物園

2024年のご挨拶に代えて。

Twitter もとい X の崩壊により、個人ブログの価値が見直されてる・・・とか、されてないとか。

真偽のほどは置いておいて、僕は個人ブログという媒体がとても好きです。何か調べものがあるときには、できるだけ個人ブログにヒットできるよう狙っています。

今回は僕の考える、媒体としての個人ブログが優れている点について述べたいと思います。

雑誌の読みやすさ、特集の体系性、学術論文の正確性 の兼ね合い

個人ブログの価値は、この3点にあると自分は思っています。

① 雑記の読みやすさ
② 特集記事の体系性と独自性
③ 学術論文の正確性

この3つのうち2つの項目が高いと、価値の高いブログ記事だと僕は思います。

順に述べます。

① 雑誌の読みやすさ

文章の読みやすさは、非常に重要です。デザイン的な話というよりは、文体の話です。

文章それ自体で芸術として成立するような小説家はいますが、さすがにそこまでは求めていません。

僕としては、カジュアルにざくっと書かれている文章が、頭にスッと入ってきやすい感じがします。一番わかりやすい例は雑誌ですが、もうちょっとくだけた感じでも構いません。

イメージは、説明がうまい人が話したことを文章に書き起こした感じ。でも「文章に起こす」というステップが入るから、ただのおしゃべりよりはまとまっている。そういう文章を書けるのは、ブログという媒体の強みだと思います。

やっぱり論文みたいな緻密に論理を積み上げていく文章は、フォーマルすぎて読みづらいです。しかも、ちょっと読み飛ばすとそれ以降が全く分からなくなる。大雑把な読み方が許されない媒体は、読み物として見たときにつらいものがあります。

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② 特集記事の体系性と独自性

1つの記事であるからには、ある程度情報がきれいに整理されている方が、読んでいてうれしいです。そして、その人にしか書けない情報があると、もっと良い。

例えば、意見を述べることが目的の記事があったとして、元となる複数の情報を踏まえたうえで、それらが整理されている。

プラスして、その人独自の視点で、考えが書かれている。

最近読んだ個人ブログの記事で素晴らしかったのが、ある地域の住民運動についてのものでした。まず自治体が何をしようとしているかを簡潔にまとめたうえで、その住民がどういう内容で抗議しているのか、そういうことが時系列に沿って整理されている。さらにすごかったのが、その人が現地まで足を運んで、「確かにこれは不便になるなあ」ということが取材されて、主観的な感想が書かれている。僕が調べた限り、その問題について整理されて情報が提供されていたのは、あらゆるウェブサイトの中で、そのブログ記事だけでした。

こういうことができる代表的な媒体は、ニュースなどの特集だと思います。でも、ニッチなトピックなんかは、テレビのニュースではとても追いきれません。あらゆるテーマでニュース特集に近いことができるのも、個人ブログの長所だと思います。

③ 学術論文の正確性

まず、正しい情報をベースにして書かれたブログ記事。これはもちろん良いブログ記事の条件です。

しかし、正確性があることだけが、良さではありません。

書き手の意見などの正確性のない情報には「正確性がありません」と明示してある。それもまた、いいブログ記事の条件だと思います。

正確性がないことが前提となって、主観全開で書かれた文章って、結構面白いんですよね。

別に「ここは正確な情報です」「ここは主観です」と、はっきり書く必要はありません。主観と客観が区別してあることが分かれば十分です。

結構あるんです。憶測がまるで事実であるかのように書かれている文章が。そうでなければ十分です。

また、学術的な正確性は保証しなくても、参考にした文献・ウェブサイトなどがある場合には、「このサイトを参考にしました」と書いてあるとよいです。興味を持ったら、それらをたどってさらに掘り進めることができます。

おわりに

えらそうに書いてきましたが、このブログ記事の中でここに書いたことを達成できているのは、ほんの一部だと思います。

でも、アクセスの多い記事やリンクを貼っていただいている記事は、やっぱり①~③ができているんですよね。

あんまり内容にこだわりすぎて更新ペースが落ちるのも嫌なのですが、ここに書いたことを意識できるときはしていきたいなと思います。

・・・あと「おまけ」を書いていたのですが、ちょっと長めになったので、次の記事に分けたいと思います。

「ブログを書くこと」について書く
2024-01-12
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